ザルとテンプラ
タイトルは、まさかのそばシリーズ続き。
さて、昨日の続きである。
「休校期間中の食の支援」について、である。
それのどこがおかしいのか。
ね、ホント。どこがおかしいのか。
さらっと聞くと、いいことのようにしか聞こえないし、
中には「そんな問題(給食がないとご飯食べない子がいる)があるのかー」
というとこから気づきだったりして、これはもう高評価しかない。
自分の住んでいる自治体のトップがそんなことまで考えているのかー、って、
ついつい一票入れてしまうだろう。
ほら、もうこれで2期目確定だ。
でも、実はそれが今世の中に広がる格差の正体である。
上の話に「いいね」してしまうあなたは、
「そんな問題」とは無縁である故に、社会的には勝ち組である。
そして、そんな「勝ち組に聞こえのいい福祉」をするのが今の政治である。
「必要な人にいい福祉」をしても票につながらない、これが本音である。
というか、市長の名誉のために正確を期すなら、「必要な人にいい福祉」がなんであるかわからないのだ。だって、必要になったことがないから。
だから、「よさそうに見える福祉」しかできない。
貧困の人が成り上がれないのと一緒だ。
そこには見えない壁がはっきりとあるのだ。格差が。
必要になったことがない人が考える福祉は、どこまで行っても「施し」でしかない。
でも、「施し」てしまったら最後、
そこには「支援する人」と「支援される人」の断絶が起きてしまい、
もうこの溝は埋まりようがない。
安倍さんがいい例だろう。
彼に言いたいことは山ほどあるが(エベレスト何十個分でもあるが)、
育ちが良すぎる彼に、人の痛みをわかれ、というのが酷である。
その一見人畜無害なところだけでこれだけ長きに渡って、国家責任者を務めてしまい、
それに諂う取り巻きは一向に減らずむしろ強まり、今の格差がある。
話を戻せば、僕は「施し」などしたくないのだ。
だって、公務員はどこまでいっても公務員であり、
公の僕(しもべ)であるはずだから。
どこまでいっても市民と共にあるべきだから。
ここでのパラドックスを挙げるなら、
言ったら、公務員だって「勝ち組」ではないのだ。
今退職していく人たちならいざ知らず、
これからは定年は伸びるわ、退職金は減るわ、年金も減るわ、で
大した未来は描けない。
なのに、いつまで経っても「勝ち組だった」意識から抜け出せないのだ。
なんと悲しいことだろう。
まあ、それも仕方ない。
地方公務員なんて、それぞれの村で一番頭がよかったみたいな人がなるもので、
そして、「公務員安泰神話」の信奉者たちばかりだから。
でも、市役所内で結婚してるような人たちならともかく、配偶者を専業主婦(主夫)にしているようなら、貧困ともさほど遠くなく、「神話」は崩壊していると言わざるを得ないのが現状だ。
それでも、「神話」であるがゆえに、事実はさほど重要ではなく、もう「信仰」の世界に入ってしまっていて、それを覆すのは難しい。
よって、その「神話」への信仰が強い人ほど、「施し」たくなってしまうのだ。
意識的にか、無意識にか、社会的弱者とは距離を置きたくなってしまうから。
難しい言い方をしてしまったが、
誤解を恐れず言ってしまえば、「差別」がしたいのだ。
したいのなら、それがなくなるはずがない。
それが「施し」となって表れる。
でも、それじゃダメなのだ、本当は。
また脱線してしまった。
続きはまた明日にしよう。
ちなみに、子どもの貧困対策法は、いわゆるフレーム法で、
具体的な中身は、それぞれの自治体に任されており、
それで今回の食の支援のような策が出てくるわけだが、
結局その中身は「ザル」である。
また、聞こえはいいが、中身はひどいので、
「偽造」を指す隠語「テンプラ」も当てはまる。
、、おあとがよろしいようで?