ネギの人

「初心に帰る」ことを考える時、

思い浮かぶひとりに、ネギの人がいる。

 

ネギの人とは、決してヘンなゆるキャラなどではなく、

僕が県職員だった頃にお世話になった、ある町役場の職員さんだ。

彼は、僕とはちょうど一回り年上で、この地方の訛りの強い人だった。

町とはいえ、人口1万人を割ってしまった田舎であるのだが、

彼ほど訛りの強い人はなかなかいなかった。少なくとも現役世代では。

 

それでいて、彫りの深い、日焼けイケメンでもあった。

しゃべる時としゃべらない時のギャップがすごかった。

 

ネギの彼は、生活保護の窓口を担当していて、

ケースワークは、県職員である僕の仕事だったが、

何かあれば、とてもフットワーク軽く、いろいろ動いてくれた。

さすが町職員らしく、町のいろんなことに詳しく、すごく助けてもらった。

家庭訪問の時も、いつも一緒だった。

ここまでやってくれる町村職員は、他に知らない。

 

他の町村では、福祉事務所が自前でないため、

あくまで県の仕事を手伝っているというスタンスで、

全然協力的でない職員が多い。

でも、ネギの彼とは、ちゃんとパートナーとして仕事ができた。

 

些細なことのように、当たり前のことのように思えるかもしれないが、

これはすごいことなのだ。

県の仕事ではあるが、自分の町のことと思ってやっていたのだろう。

縦割り行政、押し付け合い行政の中ではすごいことである。

今思い返してみても、感謝しかない。

 

彼の中で、名言と思える言葉がある、

「片方の手がなくたって、もう一方の手でできる仕事を探すんですよ。」

生活保護の申請に来た人へ言った言葉であるが、

これは下手な水際作戦ではなく、想いのこもった言葉である。

僕は、ケースワーカー時代、ここまでの言葉を言うことができなかった。

でも、この言葉は、確かな真実である。

これは制度の拒絶ではない。最大級の応援なのだ。

 

県の福祉事務所の場合、申請の窓口は町村であり、

県職員は、相談の最初を聞くことは(基本的に)ない。

(基本的というのは、僕は好きだったため、

 結構最初の相談から呼んでもらって同席していた。)

結果、最初の相談を受け付けるのは、町村職員であった。

彼の言葉は、そこでの言葉である。

 

そう考えると、県職員はとても簡単な仕事なのだ。

最初の訴えを聞いてもらい、申請に至ったものだけを、

きちんと整理されたものだけを受け取るのだから。

 

もちろん、そこからの事務的な難しさはたくさんあるし、

申請者の家を訪問しての現地調査も簡単ではない。

でも、どの相談が申請まで至るのかを見極める仕事の方が難しいだろう。

この仕事に思い入れのない人ならいざ知らず、

少なからず思いがある人には、申請させないことの方が難しい。

この言い方には、少し語弊があるかもしれないが、

申請しても却下の見込みが高くて、申請させない、そこを見極めるということである。

これは、いわゆる水際作戦と紙一重の、難しい部分である。

だからこそ、僕はその場に呼んでもらっていたわけだが、ホントに難しい。

それを担う町村職員は、本当にすごいのだ。

 

ネギの人は、そんな尊敬すべき人のひとりであり、

その中でも一番想いがあってやっている人であった。

 

でも、そんな彼でも勝てなかったもの、それは政治である。

人口1万人以下の小さな町で、彼は現町長を批判し前町長を支持した。

それで役場内で居場所がなくなり、

誰でも犯しうるミスを責められ、役場を辞め、

ネギ農家となったのだ。そう、ネギの人になったのだ。

(ホント、些細なミスをしたのだ。それを人事の人に見つかり、

 「そろそろ町長選があるんだけども、これ(ミス)がわかったら問題になる。

  今なら間に合うから、辞めてくれないか?」と言われた。

 20年以上も役場に勤めたのに、である。)

 

彼はバツイチで、独り身で、

(それも婿養子で、子どもさえできれば、もう用済み扱いだった)

与えられた仕事に人一倍一生懸命向き合っていただけだった。

もともと、町内で荒地となっていた畑を借りてネギを作っていた。

それが本業になってしまったわけだ。

 

彼はよく言っていた、

「自然(野菜)はいいっすよ、嘘つかねぇから。

 人は嘘つくから、かなわねぇなぁ。

 この仕事してっと、人を信じられんくなっちゃう。

 自然がいいっすよ。手ぇ、かけた分だけ、返してくれっから。」

そして、彼は自然に帰っていったわけである。

 

ここでも僕は悲しみを禁じ得ない。

こんな方法しかなかったんだろうか。

 

今僕が勤めているのは市役所だが、その中身は昔の、合併前の町役場と変わりがない。

トップは、市民のことではなく、自身の票の行方ばかり気にしている。

その下の者たちも、トップの顔色を窺うばかりだ。

公募型プロポーザルをしようが、結局は出来レースなのだ。

 

でも、「市民」を人質にとられ、結局頑張って仕事していまう。

、、それが正常だとはとても思えない。

 

ネギの彼は、結局そこから抜け出したわけだ。

不条理に「クビ」と言われ、彼はそれに応えた。そしてネギの人になった。

 

それがもう3年前で、僕は彼とは1年以上会っていない。

最後は、年末ということでネギをくれた。ネギ農家業はうまくいっているようだった。

 

僕は彼に憧れている、いろんな意味で。

今、実際家庭菜園をしているし、それをしている時、僕は落ち着いている。

 

彼は、結構根本まで原点回帰した。

自然と向き合い、自らと向き合っている。

果たして僕はどうだろうか。

そろそろ正面から向き合う頃かもしれない。

 

彼は僕にとってのヒーローなのだ。

この間の牧師先生がそうであるように。

 

僕にとっての「ネギ」は何だろう。