愛の彼岸にあるもの

愛とは何か。

僕の人生における至上命題のひとつである。

 

愛とは何か。

 

洗礼を受けたことで、とりあえずの盲目的な答えを「神様」としている僕だが、

本当の試練はまだまだこれからで、その答えの意味を実感するのはまだ先だろう。

 

そんな時は、とりあえず、その反対のものから考えてみるのも一つの方法だ。

 

愛の反対とよく言われるもの、①憎しみ、②無関心。

②は言わずもがな、かのマザーテレサの言葉からだと思っていたが、

どうやら違ったらしい。

 

まあ、似たようなことを考える人は意外と多かったようだが、

ある情報によると、A・S・ニールという人がそのものズバリなことを言ったらしい。

「愛と憎しみは、とどのつまり、同じことを言っているのであり、

 愛と憎しみは対義語ではなく、愛の反対は、無関心である。」(意訳)

 

うーん、言いたいことをすべて言われてしまった感がある、、

 

無関心とは、わかろうとしないことである。

 

ついでに、こんな言葉も見つけた。

「もし一人の他人だけしか愛さず、他の同胞には無関心だとしたら、

 それは愛ではなく、共生的愛着、

 あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない。」
(エーリッヒ・フロム)

 

そして、この愛の究極的な広がりの行きつく先が、神様、なのだろう。

 

愛の、ひとつ確かな側面は、優しさ、だと思う。

相手をわかりたいと思う。相手に関心を抱く。

 

僕たちの愛は、きっとまだ、信じていいはずだ。