わかりたい・わからない

人は、他人の気持ちをわかりたいと思い、そう努力することで優しさが生まれる。

しかし、結局は他人であり、その気持ちはわかりえないが、

わからないから、そこに、寄り添ったり慰めたりする余地が生まれ、優しくできる。

 

さて、誰の言葉だったか、、

細かいところまでは定かではないが、このようなニュアンスの言葉があり、

僕の好きな言葉のひとつである。

 

わからないことをわかりたいと思うところから多くの物事は始まっている、と思う。

全部はわかりえなくても、少しずつわかってくることがある。

そしてそこでできることが増えてくる。

 

反対に、わかろうとしないことは、何も生み出さない。

今わかっていることだけで、今できることしかしない。

 

他人との距離が難しい時代になった、と感じる。

そこにきてさらに新型コロナウイルスである。

先輩クリスチャンである妻は、半分冗談なのか、

これは聖書にある終末だ、などと言うが、

まだまだ新米の僕には、そこまではよくわからない。

ただ難しいなと感じて、おどおどするだけだ。

 

残念ながら、よくいろんな映画がいうように、

人々をコントロールするには恐怖が一番なのかもしれない。

恐怖とは、予測ができないこと、コントロールできないこと、わからないこと。

 

ちなみに、大好きな「ダークナイト」のジョーカーは、

「カオスの本質がわかるか?それは公平さだ」

と語っているが、それもまた一理あることだろう。

 

命の危機に直面する今、その意味でその恐怖は公平だ。

金持ちも、政治家も、有名人も、老若男女同じ命を持っていて、今それが危機にある。

 

しかし、金銭給付のやり方を誤ってもし命が脅かされることがあるならば、

それは公平ではなく、カオスの生み出す恐怖ではなくなる。

それは秩序が生む恐怖であり、責任を負う人が出てくる話だ。

 

もちろん、どこまで考えたって究極の公平な制度などできない。

(ひとつあるとすれば、「誰にも何もしない」というものだろうが、

 それは既に制度や支援という名がつくものとはいえない。)

だがしかし、わかろうとすれば、少しでも多くの痛みをわかろうとすれば、

一歩でも二歩でも公平に近づける制度ができるはずだ。

 

人の上に立つということは、誰よりも多くの痛みを感じることが責務である。

それができないのであれば、、あとは言わずもがなである。

 

ちなみに、、

仮に恐怖がきっかけであれ、現状に期待することは、

みんなが公平であるがゆえに、みんなで同じ方向を向ける、ということである。

ジョンレノンがかつて歌った、

「You may say I'm a dreamer, but I'm not the only one.」しかり、

ひとりでは夢に思えることも、手を取り合えば現実にできるのだ。

そう「世界は一つになれる」のだ。