志村けんが死んだ
どこか死なないと思ってた、志村けんて。
もちろん人は生まれては死ぬものなんだけど、「志村けん」はどこか死なないと思ってた。
僕にとって、ひとりの人である以前に、芸人「志村けん」だったんだと思う。
最近の芸人さんたちが、少し売れるとすぐにそれまでの苦労話をするのに辟易していた身としては、どこまでも芸人を貫いたその姿はずっと尊敬していた。
もう、ひとつのキャラクターみたいになってた。
別にずっと追っかけてたわけではないけど、でもふとテレビをつけるとそこにいる、みたいな。
まさか死ぬなんて考えたことなかった。
だから、悲しみより先に驚きと戸惑いが来て、悲しみは追いついてこない。
「嫌われ松子」みたいに「…なんで?」って感じ。
それより悲しかったのは、それを伝えるニュースの間のCMで、加藤茶の葬儀屋のCMが流れていたこと。
茶は楽しそうに優しそうな目をしてエンディングノートを書いてた。
まさか志村けんの訃報の合間に流されるなんて夢にも思わなかったんだろう。
茶は志村けんの訃報に寄せて「コロナが憎い」とコメントを出している。
なのに、テレビは茶のエンディングノートのCMを流すのだ。
僕はそれが無性に悲しくなってしまった。
どこにも誰の悪意などないのに、なのに…。