委ねる

礼拝がオンラインになって久しい。

もちろん新型コロナウイルス対策のためだ。

 

昨夜は、ブログはサボって、前述の牧師先生のメッセージを聞きながら寝た。

イースター礼拝かつ教会創立記念礼拝かつオンライン礼拝のメッセージである。

内容もそうだが、それより何より、その人のキリストの香りに安心する。

 

今夜は、先週の礼拝メッセージを聞いた。こちらは今の主任牧師先生のものである。

テーマは、「近視眼的なものと啓示的展望」について。

細かい話は、端折るとして、すごく簡単に要約すれば、

 「私たちは目の前の状況に右往左往、一喜一憂してしまうが、

 すべて神様に約束されていることと信じ、神様を信じ感謝し賛美しよう」

という話である。

 

うん、すごくクリスチャン的だ。

以前の僕なら、ちょっと遠慮してしまったことだろう。

だが、一応断っておくなら、以前でも「神様」の話であれば抵抗はなかった。

そこに「イエス様」が出てくると、急に「生理的にムリ」となっていた。

今も抵抗ゼロではないが、今年のイースターにかけて、

エス様について聖書を読んでいたら、少しずつ受け入れられるようになってきた、

気がする。うん。

 

今日の話を僕なりに理解すると、「委ねる」ということになった。

そして思い出したのは、メッセージにあったダニエル書や民数記ではなく、

伝道者の書であった。

前にも紹介した、あの部分。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

 神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。

 しかし、人は、神が行われるみわざを、

 初めから終わりまで見きわめることができない。」(3:11)

そして、

「今あることは、すでにあったこと。

 これからあることも、すでにあったこと。

 神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。」(3:15)

 

ちなみに、伝道者の書で驚いたのは、次の箇所、

「人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。

 これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。

 人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。

「みな同じ所へ行く。すべてのものはちりから出て、

 すべてのものはちりに帰る。」(3:19-20)

すごく仏教っぽい気がする。

キリスト教、もしくはそれを土台とする西洋文化では、

人は特別で、動物とは区別されるものだと思っていた。

創世記にあるように、

「そして神は、

 『われわれに似るように、われわれのかたひに、人を造ろう。

  そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、

  地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」(1:26)

このイメージである。

 

しかし、以下は勝手な解釈だが、

人と動物の違いは「永遠への思い」ではないだろうか。

簡単に言えば、時間の観念、もしくは過去・現在・未来という時の流れ。

人も動物も命があり、生まれ、いつか死ぬ、という、この部分は変わらないが、

この今の体が「いつか死ぬ」と知っている、という点だけ違う。

 

猫は死ぬ時、家からいなくなり、どこかへ行ってしまう、というが、

あれは、死の痛みから逃れようとする、その結果に過ぎない、

という話をどこかで聞いたことがある。

人はそうではない。

 

この「永遠への思い」が最初から備わっていたものなのか、

それとも「知恵の木の実」を食べたから、なのかは、まだよく知らない。

創世記を読むと、その木の実を食べたのち、

「いのちの木の実」をも食べさせられ、「死ぬ」運命になった、となっている。

 

これらを総合して、整合性を図るなら、

人も動物も有限の命として創造され、ちりへと帰るものであったが、

人にだけ、その有限性を知らされている、ということになるだろうか。

「死ぬ運命になった」ではなく、「死ぬ運命であることを知った」が正しいか。

でも、確かに、流れる時間軸を思い描き、

将来のある一点の死というものを意識できなければ、

死すらも意識できないだろう。「死ぬ運命」にあるとはわからないだろう。

 

しかし、その時間の観念を持ってして描く「永遠」でも、

神様の「永遠」には遥か及ばず、その意志を窺い知ることはできない。

そういうことではないだろうか。

 

そして、話は最初に戻る。

そうであるならば、僕たちは神様を信じ委ねるしかない。

 

クリスチャンの多くは、僕からすると、神様の恵みに注目している気がする。

「死からの復活」とか「天国」とか。

でも、僕はどちらかというと、そのスタートが「委ねる」方で、

恵みに関しては正直よくわからない。

 

けれど、委ね信じるということは、

恵みに関する部分をも信じ委ねるということであるから、

そうすると確かに感謝だよなぁ、と思う。

 

相変わらずまとまらない気がするが、

それもそのはず、神様のことはわかりえないのだ。

信じ委ね感謝し賛美するしかない。

 

、、おあとがよろしいようで?

ネギの人

「初心に帰る」ことを考える時、

思い浮かぶひとりに、ネギの人がいる。

 

ネギの人とは、決してヘンなゆるキャラなどではなく、

僕が県職員だった頃にお世話になった、ある町役場の職員さんだ。

彼は、僕とはちょうど一回り年上で、この地方の訛りの強い人だった。

町とはいえ、人口1万人を割ってしまった田舎であるのだが、

彼ほど訛りの強い人はなかなかいなかった。少なくとも現役世代では。

 

それでいて、彫りの深い、日焼けイケメンでもあった。

しゃべる時としゃべらない時のギャップがすごかった。

 

ネギの彼は、生活保護の窓口を担当していて、

ケースワークは、県職員である僕の仕事だったが、

何かあれば、とてもフットワーク軽く、いろいろ動いてくれた。

さすが町職員らしく、町のいろんなことに詳しく、すごく助けてもらった。

家庭訪問の時も、いつも一緒だった。

ここまでやってくれる町村職員は、他に知らない。

 

他の町村では、福祉事務所が自前でないため、

あくまで県の仕事を手伝っているというスタンスで、

全然協力的でない職員が多い。

でも、ネギの彼とは、ちゃんとパートナーとして仕事ができた。

 

些細なことのように、当たり前のことのように思えるかもしれないが、

これはすごいことなのだ。

県の仕事ではあるが、自分の町のことと思ってやっていたのだろう。

縦割り行政、押し付け合い行政の中ではすごいことである。

今思い返してみても、感謝しかない。

 

彼の中で、名言と思える言葉がある、

「片方の手がなくたって、もう一方の手でできる仕事を探すんですよ。」

生活保護の申請に来た人へ言った言葉であるが、

これは下手な水際作戦ではなく、想いのこもった言葉である。

僕は、ケースワーカー時代、ここまでの言葉を言うことができなかった。

でも、この言葉は、確かな真実である。

これは制度の拒絶ではない。最大級の応援なのだ。

 

県の福祉事務所の場合、申請の窓口は町村であり、

県職員は、相談の最初を聞くことは(基本的に)ない。

(基本的というのは、僕は好きだったため、

 結構最初の相談から呼んでもらって同席していた。)

結果、最初の相談を受け付けるのは、町村職員であった。

彼の言葉は、そこでの言葉である。

 

そう考えると、県職員はとても簡単な仕事なのだ。

最初の訴えを聞いてもらい、申請に至ったものだけを、

きちんと整理されたものだけを受け取るのだから。

 

もちろん、そこからの事務的な難しさはたくさんあるし、

申請者の家を訪問しての現地調査も簡単ではない。

でも、どの相談が申請まで至るのかを見極める仕事の方が難しいだろう。

この仕事に思い入れのない人ならいざ知らず、

少なからず思いがある人には、申請させないことの方が難しい。

この言い方には、少し語弊があるかもしれないが、

申請しても却下の見込みが高くて、申請させない、そこを見極めるということである。

これは、いわゆる水際作戦と紙一重の、難しい部分である。

だからこそ、僕はその場に呼んでもらっていたわけだが、ホントに難しい。

それを担う町村職員は、本当にすごいのだ。

 

ネギの人は、そんな尊敬すべき人のひとりであり、

その中でも一番想いがあってやっている人であった。

 

でも、そんな彼でも勝てなかったもの、それは政治である。

人口1万人以下の小さな町で、彼は現町長を批判し前町長を支持した。

それで役場内で居場所がなくなり、

誰でも犯しうるミスを責められ、役場を辞め、

ネギ農家となったのだ。そう、ネギの人になったのだ。

(ホント、些細なミスをしたのだ。それを人事の人に見つかり、

 「そろそろ町長選があるんだけども、これ(ミス)がわかったら問題になる。

  今なら間に合うから、辞めてくれないか?」と言われた。

 20年以上も役場に勤めたのに、である。)

 

彼はバツイチで、独り身で、

(それも婿養子で、子どもさえできれば、もう用済み扱いだった)

与えられた仕事に人一倍一生懸命向き合っていただけだった。

もともと、町内で荒地となっていた畑を借りてネギを作っていた。

それが本業になってしまったわけだ。

 

彼はよく言っていた、

「自然(野菜)はいいっすよ、嘘つかねぇから。

 人は嘘つくから、かなわねぇなぁ。

 この仕事してっと、人を信じられんくなっちゃう。

 自然がいいっすよ。手ぇ、かけた分だけ、返してくれっから。」

そして、彼は自然に帰っていったわけである。

 

ここでも僕は悲しみを禁じ得ない。

こんな方法しかなかったんだろうか。

 

今僕が勤めているのは市役所だが、その中身は昔の、合併前の町役場と変わりがない。

トップは、市民のことではなく、自身の票の行方ばかり気にしている。

その下の者たちも、トップの顔色を窺うばかりだ。

公募型プロポーザルをしようが、結局は出来レースなのだ。

 

でも、「市民」を人質にとられ、結局頑張って仕事していまう。

、、それが正常だとはとても思えない。

 

ネギの彼は、結局そこから抜け出したわけだ。

不条理に「クビ」と言われ、彼はそれに応えた。そしてネギの人になった。

 

それがもう3年前で、僕は彼とは1年以上会っていない。

最後は、年末ということでネギをくれた。ネギ農家業はうまくいっているようだった。

 

僕は彼に憧れている、いろんな意味で。

今、実際家庭菜園をしているし、それをしている時、僕は落ち着いている。

 

彼は、結構根本まで原点回帰した。

自然と向き合い、自らと向き合っている。

果たして僕はどうだろうか。

そろそろ正面から向き合う頃かもしれない。

 

彼は僕にとってのヒーローなのだ。

この間の牧師先生がそうであるように。

 

僕にとっての「ネギ」は何だろう。

初心忘るべからず

明日に続く、と言ったのに、また2日空いてしまった。

まあ、続けることも大事だが無理をしないことも大事だろう。

特にこれまでは「毎日続けるべき」「いい子でいるべき」の

「べき」で生きてきたわけで、少しそこから離れるのも悪いことではないと思う。

 

さて、前回の復習から。

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。

 ただ捕えようとして、追及しているのです。(中略)

 私は、すでに捕えたなどと考えてはいません。

 ただ、この一事に励んでいます。

 すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、(中略)

 目標に目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ人への手紙3章12-14節)

 

僕は、聖書のこの部分が好きだと書いたが、

それは、もちろん純粋にこの部分が好きだということもあるが、

僕の好きな牧師先生が約30年に渡る主任牧師生活の最後の1年に繰り返し話していた、

という点もとても大きい。

 

今年で御年76歳になるその先生は、不思議だ。

初めて礼拝でそのメッセージを聞いた時、

内容のキリスト教的なところは正直わからなかった。 

より正確に言えば、内容的にはまだまだ反発していた。

だけれど、不思議なもので、どうしてかもっと聞いていたくなるのだ。

その後もしばらくは、内容には反発しつつもずっと聞いていた。

 

そんな教会生活が1年過ぎた頃、先生が主任牧師を辞めることを聞いた。

洗礼を授けてくれるのは、主任牧師であり、

僕も反発しながらもいずれは洗礼を受けるんだろうなあと思っていて、

受けるならその先生からと勝手に決めていたのだった。

その先生が主任牧師を辞めてしまう。たいへんだ。

 

そこで慌てて洗礼準備クラスを受け、

ほとんど初めて先生とちゃんと話をし、そして洗礼を受けた。

(この流れもなかなか面白いがまたいつか。)

 

そう、話は先生についてであった。

メッセージは、今になって、文章におこされているものを読み返すと、

確かに内容があり、ひとつひとつに感動するのだが、

メッセージとして礼拝中に聞いていると、申し訳ない、ほとんど内容は入ってこない。

なのに、不思議と安心するというか、

こういう言い方をすると怒られそうだが、神様が先生を通して表れている、というか、

言葉の中身ではないところで、すごい力があるのだ。

もし先生が全然知らない言語で話していたとしても、きっと洗礼を受けていただろう。

それくらい、「人」としての魅力がある先生なのだ。

 

うーん、まったくうまく説明できていないが、

妻も、僕が誰かを尊敬したり好きになったりするのは珍しいというが、

その先生に関しては、本当に尊敬していて、好きである。

(もちろん、可愛い妻も、子どもたちも好きだし、愛している。)

僕自身も、本当に珍しいことだと思う。

うまく言えないが、理屈ではないものなのかもしれない。

 

うーん、まったく説明できていない。

もうホント会ってもらうしかないと思う。

実は先生がキリストでした、とか言われても、そうだねって思ってしまうくらい、

何かすごく大切なものを体現している人だと思う。

うん、、ホント会ってもらうしかない。

 

さて、話を戻すと、その先生が最後の1年のテーマにこの聖句を選んだ。

新米クリスチャンからすれば、もう「捕えて」いてほしいほどの先生である。

なのに、その先生が「この一事に励んで」いるという。

 

これはすごいなと思う。素直に思う。

いつまでも初心を忘れない、それどころか、いつまでも初心のままでいる、

これがいかにすごいことか。

 

新しい主任牧師の先生も素晴らしく、

他の牧師先生たちが、神様にめぐみばかりを話すのに対し、

日々聖書をちゃんと読んで、きちんと神様と向き合わなければいけない、と

力強くいつも語っていて、

メッセージを聞くたびに反省させられている僕であるが、

この老先生は、そんな「説教くさい」ことは言わないけれど、

「私はずっとそれに励んでいます」とサラリと言ってみせ、

その背中を見せるという、、、かっこよすぎるではないか。

 

もう76歳になり、30年も主任牧師を務め、

もう聖書はすべてわかってます、でメッセージをしてもいいのに、

「すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
 ただ捕えようとして、追及しているのです。

 私は、すでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。」

って、かっこよすぎる。

 

これは聖書に限らず、何でもそうだ。

こんなことをサラッと言える大人がどれだけいるか。

 

新型コロナウイルスで、学校が止まり、仕事が止まり、日常が止まっている。

今はすべての用事が「不要不急」かそうでないか、で分けられる。

一度ゼロから見直すいい機会と考えてみるのはどうだろうか。

僕たちが日々の中で慣れてしまっているものと向き合ういい機会だ。

 

老先生の背中はそのことを教えてくれている。

老先生などと呼んでしまったが、きっと先生は一番若い。

とにかくかっこいいのだ。

 

タイトル

ご無沙汰しております。

 

なんと2日も休んでしまった。

一昨日は、妻や子どもたちと寝室に上がったら、そのまま寝てしまった。

昨日も、金曜で一週間の仕事終わりで、一昨日と同様で、

気が付いたのは、なんと23時59分。時すでに遅し、である。

そこからご飯を炊いたり、シャワーはしたものの、ブログの余力は残ってなかった。

 

とはいえ、まあ、おかげさまで、身体の方は休めたし、

今日なんとか書いているので、3日連続休み、三日坊主になるのは防げた。

(クリスチャンで「坊主」とか笑えない。)

 

ブログを書かないと、平日はメンタルが病んでしまうが、

ブログを書くと、フィジカルにはやられてしまう。

難しいところだが、

まあ、平日はメンタル重視、週末はフィジカル重視、でいいかもしれない。

こちらもおかげさまで、最近週末は以前ほどメンタルをやられなくなった。

 

さて、例の「休校期間中の食の支援」についての続報もあるのだが、

今日は、ブログのタイトルについて説明しておきたいと思う。

 

「Chill e Acta

如何にも意味ありげに書いているが、読みは「ちりあくた」、「塵芥」である。

これは、副題に「Phillipians3:8」とあるように、

新約聖書の「ピリピ人への手紙」3章8節から来ている。

いわく、

「それどころか、

 私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、

 いっさいのことを損と思っています。

 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、

 それらを『ちりあくた』と思っています。」

 

この前の節で、手紙の差出人であるパウロ先生は、

自らのことを振り返り、

「私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。

 もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、

 私は、それ以上です。」(4節)

と語り、続く節で、いかに自分が「人間的に」優れているかを語る。が、

「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、

 私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。」(7節)

と続き、「ちりあくた」へと至るのだ。

 

さらに、その後は、

「私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、

 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、

 すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、

 という望みがあるからです。」(8-9節)と続く。

 

僕は、今のところ、聖書のこの部分がたまらなく好きなのだ。

 

すごく嫌なヤツに聞こえるのを承知で言ってしまうと、

小中の頃の僕は、勉強という点で敵なし、だった。

で、当然のように県で一番の進学校の高校に進んだ。

勉強に限らず、親や祖父母が教師一家だったこともあり、一定の界隈では間違いなく「いい子」だったわけだ。

それを周囲は期待したし、僕も当時はそれに特に不満もなかった。

それが当たり前だった。

勉強もできて当たり前だし、「いい子」で当たり前。

パウロ先生の言葉を借りるなら、

当時の僕には「人間的に頼むところ」がたくさんあった。

 

まあ、、周りからすれば、少なからず「嫌なヤツ」だっただろう。

、、パウロ先生もたぶんそうだっただろうけど。

 

高校に入って最初の学力テストで、「勉強」の点で最初の「洗礼」を受けた。

家庭科だったか、何かのテストで裏面があるのに気づかず提出したら、

ちょうどその分20点がない、80点の答案が返ってきたのだが、

順位が限りなく学年でビリだったのだ。

そう、誰もそんなテストで間違えないのだ。

100点が当たり前で、そうじゃないのはケアレスミスをする人しかいない。

そんな環境に身を置き、初めて勉強に対する「プライド」を捨てることができた

(半ば強制的にだけれど)。

当時、親には怒られたような気もするが、僕自身はどこか気が楽になったことを覚えている。

 

その後の3年間は、文化祭に一番力を入れていたり、

前にも書いたように、ギターを弾いたり、千羽鶴を作ったりしていた。

 

まあ、とはいえ、トウダイを目指して当然の高校だったので、

さほど勉強しなかった僕も、エンジ色がトレードマークの大学に進み、

結局、勉強においては、それなりの人生を歩んできた。歩んできてしまった。

 

夢だった外交官にはなれなかったが、県の職員にはなれて、

そういった意味でも、別に苦労はしなかった。

 

でも今は、洗礼を受けた今は、

それらのことは「ちりあくた」と思っている。

so what?」って感じ。

 

もっと大切なことがあるんだろう、と思う。

 

「いい子」でいることの意味がわからなくなり、

その代わりに、特に代わり映えはしないけど、

家族みんなで過ごせる毎日にすごく感謝できるようになった。

 

そして、自分なりの独り善がりでもがく毎日ではなく、

少しずつではあるが、「委ねる毎日」を送れるようになったことに感謝と、

「希望」を抱くようになった。

 

希望は大事である。

大好きなスターウォーズも42年に渡っての主題は希望であるし、

「ショーシャンク」だって希望がテーマである。

そう考えると、僕は「希望」が好きなんだろう。憧れているんだろう。

 

「いい子」でいる日々に希望はない。

「いい子」でなくなってしまった時の恐怖を背に、

必死に「いい子」でいるしかない。

そこには希望はない。

 

希望、すなわち「信仰」は大きな力を生む。

 

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追及しているのです。(中略)私は、すでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、(中略)目標に目ざして一心に走っているのです。」(12-14節)

 

可愛いクリスチャンの妻と出会い、洗礼を受け、

今、僕は、新たな人生を歩みだした。

初めて、自分のと言える人生を、神様に委ねて、歩き出した。

、、少なくとも、そうしたいと願っている。

 

そんな過去との決別と新たな決意表明が、Chill e Actaである。

 

「Chill(冷静)e(と)Acta(行動=情熱)の間」、の意味もある。

いや、大体なんでもその間に入るでしょ、という指摘ももっともであるが、

なるべくその振り幅は大きく。その時々の気持ちを大切にする、という意味を込めて。

本当の意味で、「人間的である」とはどういうことなのか。

きっとそれを突き詰めていけば、やっぱり神様に帰ってくるのではないかと思う。

 

まだ書き足りないが、いい時間になってきたので、明日にしよう。

おやすみなさい。

「意味」

今日はようやくアクセスが伸びてきたが、

というのも、可愛い妻にとうとうブログのアドレスを教えたからだ。

 

妻がブログを覗いた最初の一言は、

「『アクセス』が『アクセル』になってるよ。酔ってるねぇ」だった。

 

、、困ったねぇ、、

 

いや、もともと妻に勧められて始めたブログであるから、

いつかは見せることになるんだろうなあ、と半ば覚悟はしていたものの、

せめて人気爆発ののちに、くらいに思っていたのに、

まさか妻が最初の読者になるとは、、

 

このブログの前に少し書いてみた、仕事に関するブログは最初から見せていた。

でも、それはあくまで「仕事に関する」ものだから、そこまで恥ずかしくはなかった。

だけど、これはさぁ、、「呟き」に過ぎる、、

 

前にも書いたように、僕は自分の気持ちを話すのが苦手であり、

それは妻に対してもそうであり、これは別に愛情がうんぬんの問題ではない。

 

職場のカウンセラーさんとかにはまあまあ話すが、

それはカウンセラーさんの方が話しやすいとかでは全くなく、

単に、カウンセラーさんとは「そういう仕事」だから、に過ぎない。

どんな職業でも、プロフェッショナルな人は好きだし、尊敬する。

その意味で「サービス」を利用しているに過ぎない。

 

とはいえ、職場のカウンセリングはよくて月1しかないし、

でも僕のストレスがたまるのは、仕事のある日は毎日であり、

気持ちの整理が追い付かないので、そこでこのブログの出番であるわけだ。

「井戸」ブログである。

 

でも、まあ、

最近は妻にも僕の感情を話せるようになってきたし(怒り以外も、という意味で)、

このブログ開示も頃合いだったのかもしれない。

 

ちなみに、妻の2言目は、

「私はあなたの自己有用感を確認するためにいるわけね?」だったが、

もちろん、そんなことはない。

 

僕は、なんだかんだ自分の小さな世界の小さなルールで、基本、生きている。

そんな僕の今時点での人生に対する結論は、

「(生きていることには)意味がない」であり、

そんな僕に「例外」でいてくれる妻には感謝と愛しかない。

 

んー、、そう言うとどうしても「依存」とかに聞こえてしまうが、

うまく説明できないが、そうではないのだ。

唯一無二の存在なのだ、可愛い妻は。

ホント、感謝と愛しかない。

 

まあ、ゆっくり伝えていこう。

 

、、ちょっと変な緊張から全然まとまっていないが、

まあ、明日からは気を取り直していこう。

考える葦と考えぬ足

人はどうしてか人を2つに分けたがるけど、

今日は僕もそれに倣って分けてみた。

 

考える葦と考えぬ足。

いかがだろうか。

 

僕の可愛い妻なら、苦笑して、

「うまいこと言ったつもり?」と言うだろう。

そう、妻は可愛いのだ。

 

かつて「人は考える葦である」と言ったのは、かのパスカルである。

大きな自然の中では小さな人間だが、考えることによって、

その宇宙を超える可能性を秘めている。そんな言葉である。

 

しかし、実際はどうだろうか。

パスカルは17世紀のフランスでこう語ったが、現代ではどうだろうか。

 

いつの間にか、考えているのは一部の人だけになってしまって、

僕らの多くは主体的には考えていないのではないだろうか。

 

仕事でのPDCAサイクルにひとり疑問を持っていたが、

どうも周りを見回すと、どうもそんな人は他にいないらしかった。

PDCAサイクルの問題は、

もしP=Plan=計画の土台から間違っていた場合に修正できない点にあるが、

そもそも計画を立てるのは、トップだけで、

下々の僕らはD=Do=行動のみしか残されていないのだ。

そう、「考えぬ足」でいることが求められている。

そして、いつしかPlanする自由がないことを忘れ、

与えられたタスクをどう上手にこなすかについてだけ考えることが許されていることにも気が付けず、

「自分は主体的に考えている」と錯覚してしまっている。

でも、それでは足として動けている間はいいが、いざそれができなくなると葦の弱さを発揮し、挫折してしまう。

 

僕は、昨日の最後に「知恵のある若者」の話をしたが、

それは「賢い」ということは意味しないと思う。

「考える力・自由がある」という意味なんだと思う。

 

そこで対比されていた「愚かな老人」とは、

考えぬ足を長年続けた結果、「考える力と自由」を失った人を指すのではないか。

 

でも、悲しいかな、現代は考えると生きづらくなるばかりなのだ。

知恵があるように振る舞いながら、でも実は考えないで流れに乗っているだけで、

そして本当は考えているせいで世間と折り合いのつけられていない人を蔑んで、

一生懸命他人を下げることで自らの地位が上がったかのように見せる、

そんな生き方ばかりがあふれている。

 

でも、パスカルが言ったように、

僕たちは考えることで宇宙をも超える無限の可能性があるはずだ。

それは誰かを傷つけるためでも、差別するためでもなく、

みんなを幸せにするための方法をも考えうる力であるはずだ。

 

僕は人を信じたい。

優しくいようではないか。

すべて時にかなって

今日は、例の「食の支援」初日であった。

結論から言うと、「何事もなく」終わったのは良かったが、

つくづくブラックジョークだなと感じた1日だった。

 

ホント、こんなことばかりしていたら、

志を持った若者など公務員の世界からいなくなってしまうよ、、

 

さて、そんなこんなの「食の支援」であるが、

朝から、その問題点をわかりやすく説明したいと思っていたら、

なんと今日の大雨と暴風である。

 

で、何がすごいって、

この「外出も危険なレベル」の天候の中、

小学生を含めた(というか主に小学生対象だから小学生が多い)子どもたちに

食べ物を取りに来させたのだ!

 

、、おいおい正気かよ、、

 

4月中旬にして九州に積雪するっていう天気の中、ですよ。

近くに暴風警報や強風注意報が出ている天気の中、ですよ。

、、おいおい正気かよ、、

 

僕が最初に「何事もなく」と言った意味がわかるでしょう。

 

散々反対した。

先週この「休校期間中の食の支援」の話が最初に出た時、

その受渡の方法は、子どもたちに取りに来させるというものだった。

それを聞いてすぐに「いやいや、さすがにそれは危ないですよ」と反対した。

自明すぎるが、あえて理由を挙げるなら、

①そもそも支援対象を「親が(仕事で)家にいない、子どもだけで留守番している小中学生」としていて、そんな子が取りに来るということは、まず家の戸締りをきちんとして、普段登校班で来ている道をひとりで来るしかない。普通にアブナイ。

②来る時と帰る時、無事だったか確認するすべがない。もし取りに来ない子がいたとして、忘れていたのか、来たくなかったとかなら良いが、事故や誘拐にあう可能性もゼロではなく、でもそれを確かめるすべはない。何か問題があって発覚するのは、保護者の帰宅後となってしまい、それでは手遅れになる可能性もある。普通にアブナイ。

③市の施策として、家庭訪問と状況調査を兼ねた方が、実効性と効果が高い。普通にタカイ。

他にもあるが、その場はみんな「そりゃそうだねぇ」となり、

家庭訪問し配布することになった、はずだった。

 

だが、少し時は経ち、次は、

僕が担当している学習支援の教室を運営している事業者に配達させる話になった。

、、いやいや。

「学習支援事業者は、それぞれ曜日が決められていて、普段の教室は夕方か夜に実施しています。それとは別の曜日の、しかも午前中に、しかも本来の業務でない配達はさせられないのではないでしょうか。

「それに、NPOも多く、事業で運行できる車両を持っているかも怪しく、そもそも事業と言えるかもわからない中、保険が適用されるか確認もしないうちに頼むことは、さすがにやりすぎではないでしょうか。

「ここは市の事業として、市職員が行くべきではないでしょうか。」

と言ってみた。学習支援の担当者として。

すると、上司の返事はまさかのこうだ、

「あのね、そんなになんでも心配してたら、何もできないのよ。」

、、、、いやいやいやいやいやいや、、、おいおい、、

鉄砲玉じゃないんですよ、使い捨ての駒じゃないんですよ、事業者は。

協働事業として、一緒に仕事する対等な仲間でしょう。

というか、むしろ、市としてやるべき市民へのサービスを代わりに最前線でやってくれているわけで、感謝こそしても、これはあんまりでしょう。

そんな僕の声は届かず、そして、事業者に配達させることに決まり、

僕は事業者に泣く泣く頭を下げてお願いした。

 

しかし、その日の夕方、

「やっぱり配達させるのはなしだって。子どもたちに取りに来てもらうわ。」

、、え?

市のナンバー2の判断で、すべては振り出しに戻ったらしい。

、、え?どういうこと?

「いや、あの、それは危ないってなったじゃないですか、、」

「そう決まったの。」

そして、僕は終業直前、今度は頭を下げてお願いを取り下げる連絡をしたのだった。

 

だから、僕は事業者に配布する食べ物の中身を伝えた。

(事業者から学習会利用者へ食べ物の希望を聞いてもらっていたからだ。)

「1日当たりたったパン2個と紙パックの飲み物1つ」だって伝えた。

場合によっては、菓子パン2個になる日もある、って伝えた。

どうだ、せめてもの抵抗だ。

いろんなリスクを冒してまで取りに来てそれではあんまりではないか。

だから、僕は「無理はしないで」と暗に伝えることにした。

 

そして、今日を迎えた。

まさかのこの荒天である。

朝にも「さすがに危険ではないか。今からでも配布でいいんじゃないか」と

聞いたが、もちろんスルーされた。

 

無事に終わって何よりであったが、

ホント危ない橋を渡ったのだ。

 

コロナウイルスから命を守るための休校措置に伴う、

本来は命を救うためのはずの食の支援で、

子どもたちに命を懸けさせて取りに来させる。

 

なんのブラックジョークなんだ。

 

僕はこんな仕事をするために公務員になったわけじゃない。

 

対象の線引きだってバッドジョークでしかないではないか。

「親が家にいない子」って、今新型コロナで仕事に行けなくて収入が減ったり、

それこそ離職してしまう人だっているのだ。

「親が家にいる子」の方が経済的に厳しいことだって十分にある。

なのに、上司が言うには、

「親が家にいるならごはんくらい作れるはずでしょ。作るべきじゃない?」

、、もう何も言えんよ、、

それができないから、できなくなるから、貧困と呼ぶんじゃないのかい?

僕らが支援すべきなのはそんな貧困なんじゃないのかい?

親子揃って餓死してりゃやっと理解してもらえるのかい?

でもそんなことを言えば、

「そんな極端な例を言われても、、屁理屈よ」

、、食の支援が必要な人は貧困の中でも「極端な例」だよ、、

食の支援を喜ぶ人は多い。誰だってそうだ。でも「必要な人」は少ない。

でもそれこそ本当に支援すべき人だ。

でも、そんな必要な人には市のHPでちょっと出しただけのお知らせでは不十分だ。

 

ここに「アウトリーチする福祉」の難しさがある。

「必要な人に必要な支援を届ける」

こんな当たり前のことがとても難しいのだ。限りなく不可能なのだ。

でも、そこに挑んでいく。そこに僕らの仕事は意味があるんじゃないのか。

「行政がやる以上線引きは必要よ」

それも確かにひとつの真実だが、また次元の違う議論である。

混ぜるべきではない。

 

僕はこんな似非福祉の現場で働いている。

 

さて、今日のタイトルであるが、

伝道者の書3章11節にある、

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」

ここから来ている。

 

今日の悪天候のおかげで、この「食の支援」の問題点が説明しやすくなった。

悪天候だが、結局誰も傷つくことなく今日という日を乗り越えられた。

素晴らしいではないか。

 

今日引用するにあたって、伝道者の書を改めて読んでみたが、

とても良かった。

ぜひまたの機会に他の箇所も紹介したい。

 

今日は最後にもう1箇所だけ。

「貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受け付けない年とった愚かな王にまさる」

(4章13節)

 

これを頼みに、明日もまた頑張ろう。

 

ちなみに、コリント人への第一の手紙3章18節にはこうある、

「だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい」

 

僕は、自分に知恵があるとは思わない。

思わない故にいつも考えたいと思っている。

自分に何ができるか、人のために何がベストか。